全日空機高知空港胴体着陸事故

2007年3月13日、全日本空輸1603便は、大阪国際空港を午前8時09分に出発し高知空港行きとして運航されていた。
1603便は当日12往復24便の運航が予定されていたうち、大阪から高知に向かう便の第2便であり、便名は全日空便と同じだが、実際の運航は子会社のエアーセントラルが行っていた。
機体はターボプロップ機であるボンバルディア DHC8-Q400 であった。
同機は2003年に就航したものであり、比較的新しい機体であった。
午前8時49分、1603便は高知空港への着陸態勢に移ろうとした。
しかし、「ノーズギアが出ない」との報告があった。通常の油圧による操作のほか、手動操作でも前輪が出せるように設計されている機体だったため、1603便は前輪を手動で出そうとしたがこれにも失敗し、また着地の際の衝撃で前輪を降ろそうとタッチ・アンド・ゴーを繰り返したが成功しなかった。

国防献金

1931年、満州事変勃発のとき、在満部隊に鉄兜が無いことを知った国民によってそれが献納されたことが最初である。
その後、飛行機、高射兵器その他各種の金銭、物品は、1933年初めには陸軍のために700万円、海軍のために100万円にのぼり、うち飛行機は陸軍愛国機75機、海軍報国機28機であった。
同じ意味で在外将兵の労をねぎらうために、もしくはその他を救恤慰撫するための恤兵金品があった。
その見積額は1933年初めで陸軍に700万円、海軍に80万円であった。
なお、このようなことは日中戦争の時に始まったものではなく、既に軍資金、軍需品、恤兵金などと称して日清戦争の時に約290万円、日露戦争の時に570万円に達した。

アルベルト・ブッリ

20世紀のイタリアの画家、彫刻家である。
ブッリは、ルーチョ・フォンタナと並び、第2次大戦後のイタリアの前衛美術を牽引した、アンフォルメルを代表するアーティストである。
日本での知名度はフォンタナに劣るが、その20世紀イタリア美術における重要性、イタリアの次世代のアーティストへの影響の点では、決してフォンタナに劣らない存在である。
伝統的な画材を用いず、粗目の麻袋をキャンバスに貼ったり、透明プラスチックをバーナーで黒く焼き、穴をあけるなどの手法を抽象絵画として徹底して追求した。
絵画というものの「物質性」に注目したこの姿勢は、絵画表現の可能性を広げたほか、1960年代に台頭したアルテ・ポーヴェラのアーティストたちに多大な影響を与えた。

ニューギニアの戦い

ニューギニア島は、日本から真南に5,000キロ、オーストラリアの北側に位置する熱帯の島である。
面積は77万平方キロと日本の約2倍の広さであり、島としてはグリーンランドに次いで世界で2番目に大きい。
脊梁山脈には4,000メートルから5,000メートル級の高山が連なり、熱帯にありながら万年雪を頂いている。
19世紀の帝国主義の時代、ニューギニア島は西半分がオランダ領、東半分の北側がドイツ領、南側がイギリス領に分割された。
その後1901年のオーストラリア独立に伴って旧イギリス領はオーストラリア領となり、第一次世界大戦後は旧ドイツ領がオーストラリア委任統治領となった。
1942年当時、ニューギニア全島のほとんどは熱帯雨林と湿地帯によって占められ、人口密度は1平方キロあたり2人以下で人口調査ができないほどの未開の地であった。
沿岸部にはポートモレスビーなどの小都市が存在したが、山間部には狩猟・採集や、サゴヤシの澱粉質である「サクサク」の採取、芋類の畑作などによって生活する原住民が居住していた。

ヒジュラ暦

第2代正統カリフウマル・イブン・ハッターブが、預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ聖遷したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする新たな暦を制定した。
なお、ヒジュラがあったとされる正確な日付は同622年7月16日である。
ヒジュラ暦は太陰暦で、約29.5日である朔望月に合わせて、1か月が29日の小の月と30日の大の月という大小月をおおむね交互に繰り返す。
従って1年はおおむね354暦日となるので、1年ごとに11日ほど太陽暦とずれる。
そして、ヒジュラ暦は純粋太陰暦なので、日本の旧暦のような太陰太陽暦と異なり、閏月を置かず季節ないし太陽暦とあわせることをしない。

ネバーセイネバーアゲイン

原作は、イアン・フレミング、ケヴィン・マクローリー、ジャック・ウィンティンガムの共同執筆による映画化用脚本『James Bond of the Secret Service』だったが、フレミングが2人に無許可で、この脚本を元に『サンダーボール作戦』として小説化した。
これに怒ったマクローリーは訴訟を起こしたが、裁判は和解に至った。
映画化権を取得したマクローリーは、ワーナー製作による007映画の制作を発表するが、プロデューサーのブロッコリがマクローリーと交渉し、『サンダーボール作戦』の製作としてマクローリーの名をクレジットさせる代わりに、以後10年間はマクローリーによる007映画の製作はしないことで交渉は成立した。
そして、10年後にマクローリーは、コネリーと共同で『サンダーボール作戦』のリメイク版『WARHEAD』の脚本を執筆、映画化に乗り出したが、イオン・プロ側と訴訟となり、オリジナルとストーリーが大きく異なることで、敗訴した。
しかし、マクローリーは、オリジナルと異ならないように脚本を書き直し、ジャック・シュワルツマンと共に『ネバーセイ・ネバーアゲイン』を製作した。

ザ・ナイト・マイ・ナンバー・ケイム・アップ

イギリス空軍のハーディ中将は香港の晩餐会で、参会者のリンゼイ司令官からハーディとその一行の乗ったダコタ輸送機が岩の多い海岸に墜落する夢を見た話を聞かされる。
中将は翌日所用で東京に行くことになっていたが、予定していた飛行とリンゼイの夢は多くの点で違っていたため、気にすることはなかった。
しかし、当日実際の飛行が進むにつれて、細かな点までが夢と重なるように状況が変わっていく。
そして、飛行機は日本の岩の多い海岸に墜落した。

大空港のその後

放心状態でターニャに保護されたイネーズ。
彼女の姓が「ゲレーロ」であることを聞いたターニャは、ハリーから不審者情報を知らされた際に調べた乗客名簿の中に、その名があったことを思い出す。
さらにイネーズの告白と旅行保険販売員の証言からゲレーロの目的を悟ったターニャとメルは、グローバル2便に連絡。
2便機長のアンソン・ハリスは乗客に内緒でリンカーン空港に引き返す一方、ヴァーノンはゲレーロのアタッシュケースを取り上げる作戦を練り、隣席のエイダに無賃搭乗の帳消しと引き換えに協力を依頼する。
一方地上では、不測の事態に備えてパトローニがメイン滑走路を塞ぐ45便の移動作業を急ぐ。
だが、爆弾奪取作戦は土壇場で失敗し、後部トイレに逃げ込んだゲレーロは爆弾を爆発させる。
グエンは負傷し、機体には穴が……。

怒りの葡萄

『怒りの葡萄』は、1940年に制作されたアメリカ映画。
モノクロ。
1939年に発表されたジョン・スタインベックの同名小説の映画化作品である。
原作の政治的な面は影を潜め、むしろ家族ドラマを前面に出している。
さらに映画の終結部分において、20世紀フォックス社の社長ダリル・F・ザナックが、監督フォードの意図を無視して勝手に、ママ・ジョードの「民衆はいつでも生き続けるんだよ…」の台詞を付け加えた。

ジュラシックパーク

元は、1990年に出版されたSF小説。
バイオテクノロジーを駆使して蘇らせた恐竜たちによる騒動を描くパニック・サスペンス。
それをスティーブンスピルバーグが監督をするのだから、大きな映画となった。
ハモンド他、多くの登場人物が恐竜に襲われ死亡する。
原作ではヴェロキラプトルを「知力が高く厄介な存在」と設定し、最大の脅威として描いている。
作中に登場するジャングルリバーライドはユニバーサルスタジオのアトラクションである「ジュラシック・パーク・ザ・ライド」として再現されている。
原作・映画全体を通して「生命倫理や生命の進化・歴史」に対する哲学的テーマが存在している。