ヒジュラ暦

第2代正統カリフウマル・イブン・ハッターブが、預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ聖遷したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする新たな暦を制定した。
なお、ヒジュラがあったとされる正確な日付は同622年7月16日である。
ヒジュラ暦は太陰暦で、約29.5日である朔望月に合わせて、1か月が29日の小の月と30日の大の月という大小月をおおむね交互に繰り返す。
従って1年はおおむね354暦日となるので、1年ごとに11日ほど太陽暦とずれる。
そして、ヒジュラ暦は純粋太陰暦なので、日本の旧暦のような太陰太陽暦と異なり、閏月を置かず季節ないし太陽暦とあわせることをしない。

ネバーセイネバーアゲイン

原作は、イアン・フレミング、ケヴィン・マクローリー、ジャック・ウィンティンガムの共同執筆による映画化用脚本『James Bond of the Secret Service』だったが、フレミングが2人に無許可で、この脚本を元に『サンダーボール作戦』として小説化した。
これに怒ったマクローリーは訴訟を起こしたが、裁判は和解に至った。
映画化権を取得したマクローリーは、ワーナー製作による007映画の制作を発表するが、プロデューサーのブロッコリがマクローリーと交渉し、『サンダーボール作戦』の製作としてマクローリーの名をクレジットさせる代わりに、以後10年間はマクローリーによる007映画の製作はしないことで交渉は成立した。
そして、10年後にマクローリーは、コネリーと共同で『サンダーボール作戦』のリメイク版『WARHEAD』の脚本を執筆、映画化に乗り出したが、イオン・プロ側と訴訟となり、オリジナルとストーリーが大きく異なることで、敗訴した。
しかし、マクローリーは、オリジナルと異ならないように脚本を書き直し、ジャック・シュワルツマンと共に『ネバーセイ・ネバーアゲイン』を製作した。

ザ・ナイト・マイ・ナンバー・ケイム・アップ

イギリス空軍のハーディ中将は香港の晩餐会で、参会者のリンゼイ司令官からハーディとその一行の乗ったダコタ輸送機が岩の多い海岸に墜落する夢を見た話を聞かされる。
中将は翌日所用で東京に行くことになっていたが、予定していた飛行とリンゼイの夢は多くの点で違っていたため、気にすることはなかった。
しかし、当日実際の飛行が進むにつれて、細かな点までが夢と重なるように状況が変わっていく。
そして、飛行機は日本の岩の多い海岸に墜落した。

大空港のその後

放心状態でターニャに保護されたイネーズ。
彼女の姓が「ゲレーロ」であることを聞いたターニャは、ハリーから不審者情報を知らされた際に調べた乗客名簿の中に、その名があったことを思い出す。
さらにイネーズの告白と旅行保険販売員の証言からゲレーロの目的を悟ったターニャとメルは、グローバル2便に連絡。
2便機長のアンソン・ハリスは乗客に内緒でリンカーン空港に引き返す一方、ヴァーノンはゲレーロのアタッシュケースを取り上げる作戦を練り、隣席のエイダに無賃搭乗の帳消しと引き換えに協力を依頼する。
一方地上では、不測の事態に備えてパトローニがメイン滑走路を塞ぐ45便の移動作業を急ぐ。
だが、爆弾奪取作戦は土壇場で失敗し、後部トイレに逃げ込んだゲレーロは爆弾を爆発させる。
グエンは負傷し、機体には穴が……。

怒りの葡萄

『怒りの葡萄』は、1940年に制作されたアメリカ映画。
モノクロ。
1939年に発表されたジョン・スタインベックの同名小説の映画化作品である。
原作の政治的な面は影を潜め、むしろ家族ドラマを前面に出している。
さらに映画の終結部分において、20世紀フォックス社の社長ダリル・F・ザナックが、監督フォードの意図を無視して勝手に、ママ・ジョードの「民衆はいつでも生き続けるんだよ…」の台詞を付け加えた。

ジュラシックパーク

元は、1990年に出版されたSF小説。
バイオテクノロジーを駆使して蘇らせた恐竜たちによる騒動を描くパニック・サスペンス。
それをスティーブンスピルバーグが監督をするのだから、大きな映画となった。
ハモンド他、多くの登場人物が恐竜に襲われ死亡する。
原作ではヴェロキラプトルを「知力が高く厄介な存在」と設定し、最大の脅威として描いている。
作中に登場するジャングルリバーライドはユニバーサルスタジオのアトラクションである「ジュラシック・パーク・ザ・ライド」として再現されている。
原作・映画全体を通して「生命倫理や生命の進化・歴史」に対する哲学的テーマが存在している。

トリビア

映画のトリビアにはどんなものがあるだろう。
ジャッキーチェンがブルースリーの「ドラゴン怒りの鉄拳」や「燃えよドラゴン」にエキストラやスタントマンで出演していた、というのがある。
スターウォーズでダースベイダーがルークに、自分が父親である事を告げるシーン。
ベイダーがルークの父である事は秘密事項として厳重に隠されていて、撮影現場においてもそれは徹底されていた様だ。「オビ=ワンがお前の父を殺したのだ」と言うように指示されていたらしい。
プレミア上映直前まで、本物の台詞を知っていたのはジョージルーカスと、ルーク役のマークハミルと、ダースベイダーの声のジェイムズアールジョーンズの3人だけだったのだそうだ。
他の共演者はびっくりしただろう。
オーシャンズ11で、ブラッドピットが出ているシーンで彼がいつも何かを食べているのは、多忙で食事を取れていなかった為、撮影の中で食事をする、という状況だったらしい。
これはリアルでまた良い。
でも、ジョークなのかもしれないな。
どういう意図かは分からないけど、いつも何かを食べている様な演出かもしれないし、いくら多忙でもプロの役者がその都合で不自然な役柄になるなんて事は考えにくいものがある。

バラキ

1972年制作のイタリア・フランス合作映画。
マフィアでジェノヴェーゼ一家のジョゼフ・ヴァラキ。
ヴァラキの証言を通して、オメルタから始まるコーサ・ノストラ入会から出世、逃亡、そして当局に保護されるまでを描くことで、ラッキー・ルチアーノ等、実名で登場する本物のマフィア、コーサ・ノストラの歴史・実態が解り易く忠実に再現された。
実話に基づいているだけあって、数々の残虐なシーンもリアリティがあり、物凄い迫力で迫ってくる。
過酷な尋問のリアルさといったらとんでもない。
告発後の無力さに打ちひしがれるヴァラキの表情が物凄く哀しい。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

1984年公開のアメリカ・イタリア合作のギャング映画。
セルジオ・レオーネ監督・脚本作品。
禁酒法時代にニューヨークのユダヤ人ゲットーで育った二人のギャングの生涯を描いた、レオーネの遺作にして代表作。
1930年代のニューヨーク。
ユダヤ系移民の子、ヌードルスはある日、仲間たちと酔っ払いから財布を抜き取ろうとするが、一人の少年にそれを阻まれる。
その少年はブロンクスからやってきたマックスといった。
ヌードルスとマックスは最初こそいがみ合うものの、やがては友情で結ばれていく。
禁酒法を利用して次々と犯罪行為に身を染めていく少年たちは、束の間の栄光を味わう。
しかし、彼らの挫折は思わぬところで待ち受けていた。
やがて時が流れ、老け込んだヌードルスは、再びニューヨークに戻ってくる。
彼の元に一通の手紙が届いたのだ。
禁酒法の時代背景が見事に描かれ、ロバート・デニーロの演技も素晴らしい。
同じ人物、同じ場所が姿を変えて何度も現れるのはサスペンスとして大変面白い。
時系列が飛び交う中、4時間もの大作であるにも関わらず、最後まで緊張感を保った演出の妙を感じる。

フィールド・オブ・ドリームス

1989年のアメリカ映画。
アイオワ州の田舎町に住むレイ・キンセラは農業でなんとか家計をやりくりする、一見普通の貧乏農家。ただ、若い頃に父親と口論の末に家を飛び出し、以来生涯に一度も父の顔を見る事も、口をきく事すらもなかった事を心の隅で悔やんでいる。
ある日の夕方、彼はトウモロコシ畑を歩いているとふと謎の声を耳にする。
「それを作れば、彼が来る」
その言葉から強い力を感じ取った彼は家族の支持のもと、周囲の人々があざ笑うのをよそに、何かに取り憑かれたように生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、小さな野球場を作り上げる。
その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場にみつける。
そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった。
何が理由で野球場を作るのか。
主人公の一心不乱さが、謎の声に誘発されたという不自然さを打消し、感情移入できる様になっている。
美しい幻想の中で、野球を通して人々の温かさが伝わってくる。
極めつけは、亡き父とのキャッチボールのシーン。
これで主人公の心に残っていた悔いが晴れたのだろう。
素晴らしい効果を生んでいる。
野球の国、アメリカならではの映画で、尚且つこんなにも温かい。