これは知らなかった

かつて、小人プロレスというものがあったのを初めて知った。

長年プロレスファンでありながら。

主には全女の前座だった様だが、身長110センチ程度のレスラー達がプロレスを展開する。

笑いを取る為にやっていたそうだ。

会場でしか見られず、TVでは完全カットなのだから、知らなかったのも当たり前かもしれない。

リトルフランキーという選手が有名だった様だ。

小人の人達がテレビに出たりすると、すぐに「差別だ」という声を挙げる人が居るが、それによりテレビ局が彼らを出さなくなると、仕事がなくなって困るのは結局彼らの方なのだ。

本当にこれは難しい問題だ。

珍しい客

青森の深浦町に、コクチョウが2羽飛来したそうだ。

これは大変珍しく、地元で評判になっているらしい。

コクチョウはオーストラリアなどが原産で、青森県内湖沼での確認例はまれだと言う。

住民が数十センチ近くまで近づいても警戒するそぶりをあまり見せず、与えたパンくずを食べていたというから、人間に慣れているという事だろう。

という事は、飼育されていた可能性が高い。

こういう場合は、そっとしておくのが良いのだろうか。

露土戦争

1875年に発生したヘルツェゴヴィナ蜂起を支援するため、1876年、セルビアとモンテネグロはオスマン帝国に対し、宣戦を布告した。
しかし両国はオスマン軍によって大きな打撃を受けて休戦を余儀なくされたうえ、同時期に起こったブルガリアにおける反オスマン反乱であるブルガリア人の四月蜂起も鎮圧された。
このとき、4万人におよぶブルガリア人がオスマン帝国の軍民により虐殺され、この大虐殺の詳細が明らかになるにつれヨーロッパ諸国では衝撃が走った。
オスマン帝国はイギリスの支援を得られなくなり、単独でロシアにあたらざるをえなくなった。

ブルーコメッツ

「グループ・サウンズ=不良」のイメージが強かった1960年代当時、数多のグループ・サウンズの中でザ・ワイルドワンズと共にNHKへの出演が許され、NHK紅白歌合戦に第17回から3回連続で出場した。
これは他のグループ・サウンズと違い、外見が短髪でスーツ姿=銀行員風と言うのが世間一般に評価されたことによるものである。
もっとも、メンバーにしてみれば、長髪が似合わなかったから短髪にしていただけで、NHKへの出演を意図していたものではなかった。
逆にコンサートなどでかつらを被って長髪を試したところファンに不評だった。
しかし、ビジュアルイメージを考えていなかったわけではなく、ショーン・コネリーが演じるジェームズ・ボンドをコンセプトに、全員が移動時におそろいのアタッシュケースを持っていた。

サンドマング

未開であった島の西北部では、フランス人やイングランド人の海賊たちが1625年に沖合の島トルトゥーガ島に初の拠点を置き、スペイン船などを襲いながら海賊同士の交易を行い野獣を狩って生活した。
スペイン軍はしばしばトルトゥーガ島を掃討したが、海賊たちが獣や新鮮な水を求めて戻ってくることを止められなかった。
1659年、フランス王ルイ14世はトルトゥーガ島を公式に植民地とし、新設されたフランス西インド会社が1664年に植民地経営を引き継ぎ、公式にイスパニョーラ島本土の西部の領有を宣言した。
1670年には島北部に本土初の入植地カプ=フランセを築いた。
衰退しつつあったスペインにはそれを追い払う余力はなく、1697年のライスワイク条約で正式に島の西側三分の一がフランス領となった。
フランスは新植民地に「サン=ドマング」と名づけた。

デビアス

ヨハネス・ニコラス・デ=ビアとディーデリック・アーノルダス・デ=ビアの、二人のアフリカーナー人農民の農場名に由来している。
オレンジ川とバール川が合流する、ヴールイトツィヒトと呼ばれる地点の付近でダイヤモンドが発見された。
しかし兄弟は続いて起こるダイヤモンドのラッシュに農場を維持することができずに、6300フランで農地を売ることになった。
兄弟は鉱山の所有者にはなれなかったが、これらの鉱山のうちの1つは二人に由来して命名されている。
セシル・ローズは、ライバルであるバーニー・バルナートのキンバリー鉱山も吸収統合することで圧倒的なシェアを実現した。

海軍航空本部

日本海軍は従来航空分野に関する中央総括部署を持たずに、海軍省内部部局や艦政本部が別々に分割担当する態勢を取っていた。
しかし、刻々と進歩する航空分野に十分対応するためには統一的に管轄する担当部署が必要であるとの認識から航空関連部署を新設することになった。
これが海軍航空本部であり、海軍航空本部令により艦政本部から分離独立する形で設立された。
以後、航空行政を総括する立場から航空戦力増強を推進、それにともない組織も順次強化されていった。
終戦後の1945年11月30日、海軍省廃止に伴い海軍航空本部も解散した。

全日空機高知空港胴体着陸事故

2007年3月13日、全日本空輸1603便は、大阪国際空港を午前8時09分に出発し高知空港行きとして運航されていた。
1603便は当日12往復24便の運航が予定されていたうち、大阪から高知に向かう便の第2便であり、便名は全日空便と同じだが、実際の運航は子会社のエアーセントラルが行っていた。
機体はターボプロップ機であるボンバルディア DHC8-Q400 であった。
同機は2003年に就航したものであり、比較的新しい機体であった。
午前8時49分、1603便は高知空港への着陸態勢に移ろうとした。
しかし、「ノーズギアが出ない」との報告があった。通常の油圧による操作のほか、手動操作でも前輪が出せるように設計されている機体だったため、1603便は前輪を手動で出そうとしたがこれにも失敗し、また着地の際の衝撃で前輪を降ろそうとタッチ・アンド・ゴーを繰り返したが成功しなかった。

国防献金

1931年、満州事変勃発のとき、在満部隊に鉄兜が無いことを知った国民によってそれが献納されたことが最初である。
その後、飛行機、高射兵器その他各種の金銭、物品は、1933年初めには陸軍のために700万円、海軍のために100万円にのぼり、うち飛行機は陸軍愛国機75機、海軍報国機28機であった。
同じ意味で在外将兵の労をねぎらうために、もしくはその他を救恤慰撫するための恤兵金品があった。
その見積額は1933年初めで陸軍に700万円、海軍に80万円であった。
なお、このようなことは日中戦争の時に始まったものではなく、既に軍資金、軍需品、恤兵金などと称して日清戦争の時に約290万円、日露戦争の時に570万円に達した。

アルベルト・ブッリ

20世紀のイタリアの画家、彫刻家である。
ブッリは、ルーチョ・フォンタナと並び、第2次大戦後のイタリアの前衛美術を牽引した、アンフォルメルを代表するアーティストである。
日本での知名度はフォンタナに劣るが、その20世紀イタリア美術における重要性、イタリアの次世代のアーティストへの影響の点では、決してフォンタナに劣らない存在である。
伝統的な画材を用いず、粗目の麻袋をキャンバスに貼ったり、透明プラスチックをバーナーで黒く焼き、穴をあけるなどの手法を抽象絵画として徹底して追求した。
絵画というものの「物質性」に注目したこの姿勢は、絵画表現の可能性を広げたほか、1960年代に台頭したアルテ・ポーヴェラのアーティストたちに多大な影響を与えた。